文仁親王妃である紀子さま。
実は文仁さまと出来ちゃった婚だったという噂があるのをご存知でしょうか?
今では授かり婚と言う良いイメージの言葉で定着していますが、当時は異例中の異例だったはず…
そこで今回は紀子さまが本当に出来ちゃった婚だったのか調べてみました
紀子さまのプロフィール
- 名前:紀子
- 生年月日:1966年9月11日
- 出生地:静岡県駿河区
- 血液型:A型
- お印:ヒオウギアヤメ
- 配偶者:秋篠宮文仁親王
紀子さまは父親の川嶋辰彦さんがペンシルベニア大学大学院に留学したことから、
一家で渡米し6歳までアメリカ合衆国ペンシルベニア州で過ごしました。
しかし1973年に父親の辰彦さんが学習院大学助教授に就任したため、
一家で帰国し同年6月に静岡市立中田小学校の一年に編入学。
その後1976年に学習院初等科へ編入し、その後も学習院女子中等科、高等科と進学されました。
1985年に学習院大学文学部心理学科へ進学しここで秋篠宮さまと出会う事となったのです。
秋篠宮さまと紀子さまの出会い
紀子さまは大学構内の書店で1年先輩の秋篠宮さまと出会われました。
以降サークル活動を通して交際を深め1986年6月26日に、
秋篠宮さまから求婚を受けましたが即答は避けたそうです。
早い段階から宮中にも招かれ、現在の上皇である明仁さまとも面会していました。
秋篠宮さまが主宰するテニスサークルでは、明仁さま、美智子さまも参加して、
ダブルスの試合にして楽しんだといいます。
明仁さまは紀子さまの事を「キコちゃん」と気さくに呼びかけたり軽食をすすめたりするなど、
自然に一家へ溶け込めるようにご配慮をされていたそうです。
紀子さまは学習院に通われるお嬢様とは言え、皇族の一家に溶け込むのは大変だったでしょう。
紀子さまはできちゃった婚だった?
実は紀子さまと秋篠宮さまができちゃった婚だったという噂があるのをご存知でしょうか?
こちらは結論から申し上げるとデマの可能性が高いのではないかと考えられます。
当然のことですが、そのような証拠はどこにもありません。
しかし、火のない所に煙は立たぬという言葉もありますよね…
一体なぜこのような噂が生まれてしまったのでしょうか?
なぜこのような噂が生まれた?
どうやら宮内庁の関係者の噂話が口コミでどんどん広がってしまったようです。
「紀子様は2回堕胎されたと高田馬場近くの医師が話していた。」
「紀子様は2度も堕胎を余儀なくされた。そのことを紀子様の父親の川嶋教授が両陛下に苦情を申し上げたことで結婚が決まった。」
引用:https://motokunaicho.com/
宮内庁の関係者がこのような噂話をしていたという情報がありました。
話を整理すると、紀子さまと秋篠宮さまが交際期間中に2度の妊娠をしたが時期尚早で結婚には至らなかった。
その状況に業を煮やした紀子さまの父親である辰彦さんが、現在の上皇ご夫妻に苦情を伝え結婚が認められたという事。
本当に2度の堕胎をしていたという事であれば、紀子さまの父親である辰彦さんが怒るのは当然のことでしょう。
紀子さまのお身体の事や、皇族の方々がそんな事をしていたという事が公になればただ事では済みません。
こういった経緯から紀子さまはできちゃった婚だと言われているようなのです。
もしこの話が本当であればできちゃった婚という表現は間違いではなさそうですね。
しかし、この話には何も根拠がありません。
噂話など幾らでも作り上げる事が出来ますので、都市伝説ぐらいに捉えておいた方が良いでしょう
あとがき
今回は紀子さまができちゃった婚だったという噂について調査しました。
真相は定かではありませんが、噂は幾らでも捏造出来ますので信じすぎないようにしていきたいですね。